「ちょっと待て、今なんて?」
話はもう終わるところであったがそこに差し掛かった途端、それまで微笑と共に聞いていた兄はオレを見て首を傾げた。眉間に軽く皺が寄っている。それをダイニングテーブルの向かいで受けるオレは手元のカップに視線を落としたまま、頬杖をつくばかりだ。
「だから、登録したんだって」
「何を?」
「マッチングアプリ」
「登録してどうするんだ」
「どうもしないけど。なんか、ムカついて」
「それだけ?」
「それだけ」
兄はしばらく沈黙した。やがて重々しく首を左右に振りながらゆっくりと体を起こすと、椅子の背に溜息と共に凭れる。
「…………すまない。オレには到底思いつけない発想だ」
すごいな、サスケは。嫌味ではなく純粋に感心するような声に、思わず意味もなくカップの持ち手に指が伸びた。そんなオレの仕草に目を留めると、兄はふっと息を抜く。怒ってはいない。呆れてもいない。――ただ、長い付き合いの中で何度もこういう“突発的な謎行動”をしてきた弟に対する、奇妙な安心のようなものが混ざっているのだけは感じ取れた。なんというか、複雑な気分だ。
職場の同僚であるナルトと一緒に暮らすようになって、2年が経った。関係性はそんなに悪くはない。それはそうだと思うのだが、最近なんだか妙に、相手に対しイラッとする瞬間が多くなっていた。いや、よくよく考えてみれば出会った頃から、ナルトにはイライラさせられることばかりであったのではあるが。けれどそれとは質の違う苛立ちというか――こちらに対し、どうも舐めた態度を取られているというか。そのような状態であったところ、更に駄目押しのようにしつこくされて爆発寸前であったタイミングに兄からの連絡(内容は特別どうというものではないが、しばしば兄は様子伺いのような連絡をくれる。ナルトに言わせるとオレたち兄弟は世間一般のレベルと比べると相当仲が良すぎるとのことだが、それこそ余計なお世話というやつだ)が入り、これ幸いとばかりに「いまから行く」と返事をしての現在である。
「まあ、アプリ入れたって言ってもすぐ消すし。向こうは待ち合わせの場所にいるかもしれねえけど」
ようやく弄っているばかりだったカップの持ち手をしっかりと掴み、中でぬるくなった紅茶へ口をつけた。真夏であっても、兄は基本的に常温以上の飲み物を好む。兄側にもある昔から変わらない行動になんとなく安心しつつ、普段はあまり飲む機会のない紅茶を一気に飲む。丁寧に淹れられた兄の紅茶は、どんな時でも変わらず美味い。
「待ち合わせの場所とはどういう意味だ?」
すっかり話が終わった気分で出されたお茶を啜っていたオレに、兄は再び尋ねてきた。いやだから、適当にあいつへ送ってやったんだって、それっぽい待ち合わせの場所と時間。久しぶりの兄の紅茶に一息つこうとしていたところの質問に、ちょっと面倒になりながらも答えたが、それを聞いた兄はますます眉を寄せる。
「送ったって、そのアプリを使って?」
「あー…あっちにも同じアプリ入れさせたから」
「わざわざそのメッセージをやり取りするためだけにか?」
「そう」
「そうまでして待ち合わせの約束を取り付けてどうするんだ」
「別に。どうもしねえけど」
「どうもしない?」
「どうもしない」
「行かないつもりか?」
「当然。むしろなんで行くんだよ」
まあしばらくひとりで待ってて来ないと思えば、そのうち帰ってくるんじゃねえの。あっさりそんな算段で話を締めると、いよいよ額に手をあてた兄は深々とした溜息をついた。愚かな、という小さな呟きが漏れ聞こえたが、気が付かないふりをして黙々と空になったカップの縁を擦る。だって仕方がないじゃないか。本当にナルトが嫌がることをしてやりたかっただけで、それ以上にどうしたいという訳でもなかったのだから。
「……なるほど。つまり、おまえは相手を振り回すことで、自分がどれだけ腹を立てているかを伝えたかったわけだな」
兄の言い方は淡々としていたが、言葉の切っ先は妙に鋭かった。思わず顔をしかめると、兄は立ち上がりながら椅子を引き、テーブルの縁に手をついてこちらを見下ろす。
「行け」
「は?」
「今から、その待ち合わせ場所に行け」
「ちょっと待て、なんでオレが」
「なんでじゃないだろう。行かないことで、話が余計に拗れることもわからないのか?」
兄はきっぱりと言い切った。まるで、既に結論など決まっているというように。紅茶を飲み終わった余韻も、先ほどの優しげな空気も消え失せて、そこには『兄』という絶対的な立場が戻ってきている。
「行ってどうすんだよ。悪かったとでも言えってのか」
オレが謝るいわれなんてねえし、と思わず口が尖ると、それを見た兄は一瞬やれやれという感じで肩を竦めた。しかし何か思いついたのか一瞬間をおくと「…ああ、だがそれもいいか」と小さく呟き、不貞腐れるオレの顔を真正面から見詰めてきたかと思うと、今度はにっこりと笑う。
「いや、そんなことはサスケの好きにしたらいい。ただ自分から約束をしたのなら、それを平然と破るのはやめろ。そのくらいの礼儀は通せ」
兄の声はやけに穏やかだった。そのくせ逃げ場のない強制力だけがしっかりと含まれていて、オレは椅子の上で体をよじったまま、反論の糸口をどうにか探そうとする。――が、悔しいがどこにも見当たらない。
黙っていると兄は肩をすくめて、自分の茶器を持って立ちあがりキッチンへと運び始めた。残されたオレのカップにがやわらかな紅茶の香りだけが、まだ中に残っている。
「そうだ、それにそもそもが、『サスケ』の名前で待ち合わせをしているんじゃないんだろう?さすがにそういう場でいきなり本名を登録するほど、お前も世間知らずではないだろうし」
食器を洗う手を止めず、振り返りもせずに言う兄の背中に、オレはうっすらと舌打ちをしそうになった。でもそれも結局しないで堪える。そんなオレの反応を見ないままでも全部見通しているかのように、兄はそのまま歌うように続ける。
「じゃあもういっそ、その偽名のままで会いに行けばいいんじゃないか?」
「あ?」
「ついでにオレの服も貸してやる。どうせなら普段のサスケとは違う雰囲気で現れた方がおもしろいだろう」
「ちょっ……まだ行くとは言ってねえし!」
うん、それがいい。反論するオレを完全に無視して、兄は愉快気に言った。会話をしている最中もずっと後ろを向いたままだったが、どうせ結局は思い通りに動くオレに、満足気な顔でもしているに違いない。
(……クソ。こうなったら行って、さっさと帰ってきてやる)
どうもワクワクしてきている風なのを隠しもしない背中に、イライラとオレは決意した。兄さんはいつもこうだ。最初はこちらの味方のような顔をして話を聞いてくれても、最終的にはまったく敵わないような正論でねじ伏せてくる。
待ち合わせをすっぽかすのは止めにしても、こんな状態でナルトの顔を見たらもっとムカつくかもしれないし、もしかしたら――
(……『帰ってきてやる』って、どこに?)
ぽつりと浮かんだ疑問に、一瞬、思考が止まった。ひとつ、深く息を吸う。
そうして飲み終えたカップを片手に立ち上がり、洗い物をする兄の方へゆっくりと向かった。不機嫌さを隠さないままでもいつも通りカップを下げにきたオレに、軽く振り向いた兄が穏やかな笑みを浮かべる。
考えても正直よくわからない事にはひとまず蓋をして、とにかく今は、不本意ではあるがナルトに知らせた場所へ行くしかないようだった。
*****
ひとまず入った安さが売りのチェーン店の居酒屋は、流行っているらしくすでに満席であったが、座った時からテーブルはベタついていた。どうしてなのか、拭いたばかりのはずなのに手のひらが置いた瞬間ぴたりと吸いついて、木製のテーブルからは微かにアルコール混じりの水拭きの匂いがする。
「えーと、とりあえずオレは生にしよっかな。サ……Sさんは? なに飲む?」
「レモンサワー。それだけで」
それきりまた沈黙が落ちた。周囲は騒がしい。斜め向かいのサラリーマンのグループが、やけに大きな声で笑いあっている。ジョッキがぶつかる音、皿が重なる音、厨房の方からは何かの金属音がする。
ホールの若い女性店員が「お待たせしました!特製ポテトフライです」と張りのある声を張り上げた。なのにオレたちのテーブルだけがぽっかりと無音だ。黙っているオレの目の前でナルトが「んーと、生、とレ・モ・ン・サ・ワー…と!」などとわざわざ口に出して、慣れた仕草でタッチパネルを操作しオーダーを入れる。
「――いやあ、それにしてもほんっと今日も暑かったよな。マジで命に関わるってばよ」
「そうだな」
動こうとしないオレに、ナルトがどうにか話題の糸を手繰ろうとしているのは伝わってくるが、その努力も甲斐なくするりと指の間をすり抜けた。なんとなくどういう態度を取れば普段の関係に戻れるのかはわかる。けどそれをするのはどうにも癪で、結局は空気が悪いのを無視して口を噤む。
届いた生ビールのジョッキがテーブルに置かれる。入れすぎなほど氷がたっぷり入ったレモンサワーのグラスとぶつかって、微かに澄んだ音を立てた。
「乾杯、する?」
伺いをたてるように、ナルトがそっとこちらを見た。
「必要ないだろ」
あっさり返すと、ナルトが喉の奥で乾いた笑いを漏らす。
「あのさ」
ようやく何か決意したかのような呼びかけに、小さく視線を上げた。ナルトと目が合う。別に普段となにが違う訳でもないのに、どういうわけか青い目が恥ずかしそうに視線を外した。意味がわからねえなこいつ、なに今さら初々しい真似してるんだ。そんなことを思いつつ結露をびっしり張ったレモンサワーのグラスの表面を指で触れていると、ようやくナルトは意を決したかのように続きを始める。
「……Sさんはさ、こういうのって初めて? なんていうか、こういうアプリで誰かと会うみたいな」
「決まってんだろ」
考えるまでもなく即答すると、ナルトはわかりやすくホッとした顔をした。ていうか最初に訊くのがそれかよ、自分はちゃっかり遊んでいたくせに。どうにも不均衡にも感じられるその仕草に早々イラッとさせられるも、そんなオレの不機嫌を他所に、ナルトはまた訊いてくる。
「えー…と、じゃあ、やったことないのに、なんで今回してみようと思ったんだってばよ? 彼氏はいいの?」
使われた『彼氏』という単語に(オレも彼氏だが?)と一瞬思いつつムスッと黙っていると、「彼氏への、その、いわゆる当てつけ的な?」などとナルトが続ける。なるほど、そう捉えたか。
「……まあ、そんなとこ」
説明するのも面倒で適当に答えると、どういう理屈なのか、ナルトは(あっ、やっぱそうなんだ)といった感じで目に見えて安心したようだった。いや本題はそうじゃねえよ、ムカついてんのはテメエにだよ。そうは思ったが何故だかやけに嬉しそうな対岸の男に、反論するのもバカバカしくなり仕方なくレモンサワーを煽る。
「そっか。じゃあ今してるコレはちょっと嫌がらせ――じゃなかった、気分転換したいって感じであってる? 彼氏とは別れたいわけじゃないってことだよな」
「さあ、それはわからない」
下を向いたまま淡々と返した言葉に、ナルトは「えっ」とわかりやすく狼狽えたようだった。「あっ…いや、わからないってのは気分転換の方のこと? まさか後の方のことじゃないよな?」などと焦った様子で無理やり笑おうとするのをしらっと眺めて、お通しで出された小鉢の胡麻和えを手持ち無沙汰につつく。ふん、いい気味だ。これまで呑気にしていた分、せいぜい慌てたらいい。
「……彼氏、そんなにアレな感じ?やっぱ生活態度とか、家事関係のいろいろみたいな」
泡がすっかり落ち着いたジョッキを置いたまま、ナルトがそっと伺うように切り出してきた。――でもほら、彼氏は彼氏でそれなりに頑張ってはいると思うんだって! まあその、至らない点が多々あるのは、そうかもしんねえけど。語尾にいくにつれて心許なくなっていく声に、小さく溜息をついてそっと目線を上げる。
向かいに座る男を、改めてしげしげと眺めた。
厚みのある広い肩が、所在なさげに小さく縮こまっている。夏らしく短く刈られた金髪は、安い居酒屋の照明の下でも明るく冴え冴えとしていたが、その下にある同じ金色の眉は弱りきっていて、こちらを窺う空色の瞳はほんのり湿っているようにも見える。
「……というか、オレにばかり訊いてくるがお前はないのかよ。付き合ってる奴への不満とか」
なんとなく一方的になりすぎているような気もして反対に尋ねてみると、向かいで畏まっていたナルトは「ん?」と目をぱちくりとさせた。不満があるから、そっちも浮気しに来たんだろ? 待ち合わせの時の浮かれっぷりを思い返しながらつけつけ言うと、さすがにあんまりだと思ったのだろう。咄嗟に「いやだって、これはお前がさァ!」と言い返そうとしてきたナルトを、つんと頬杖のまま横目で見る。
「えー、不満?」
「そう。ねえのかよ」
「不満ていうか、意見が合わねえなあって思うことは、まあまああるってばよ」
あるのか、とこちらから言い出しておきながらうっすら思っていると「けど、」とナルトが続けた。
「いろいろ正反対なのは最初からだし――それでも一緒にいたいからさ。努力でなんとかなるんなら、頑張るってばよ」
……まあ、合格点までにはちょい時間かかるかもしんねえけど。最後にそう付け加えると、ナルトは再びきちんとこちらを向きなおした。
で、そちらの不満は?
問いかけてくる視線にム、とひとつ唇を結ぶ。
「生活態度とか家事とか、たしかにそれはそうなんだが。いちいち雑だし、何度注意しても同じこと繰り返すし」
つらつら文句を並べると、向かいから「は、おっしゃるとーり」という小声の合いの手が聴こえた。じっとこちらを見つめる視線。殊勝な様子にその先を言うべきか迷いつつ、口ごもったついでに割り箸で胡麻和えをひとつ口に含む。やけにしょっぱい。
「……ゲーム」
「へ?」
「一番は、家の中でゲームしてんのが気に入らねぇ」
ぼそぼそと落とした声は、店に溢れる喧騒に紛れてナルトにしか聞こえなかったはずだ。
「……………ゲーム?」
たっぷりと間を置いて、オウム返しにしたナルトが首を傾げた。一緒に暮らし始めた頃にはゲーム機を持ってこなかったので全く関係なかったのだが、最近新しいゲーム機が発売されたとかで、購入したナルトが家でゲームをするようになったのだ。
いや、元々ひとり暮らしをしている頃から、ナルトが時々オンラインゲームを嗜んでいるのは知っていた。だから今更だし、そもそもがそんなことまで意見したくはない――ないのだが。
「そう。ヘッドセットで喋りながらな。何時間も。こっちが部屋にいるのに声かけたって振り返りもしねえし、ずっとコントローラー握りしめて向こう側にいる奴らと盛り上がってて」
思い出すとまたムカムカと気分が悪くなってくる。別に浮気してるわけじゃないというのは当然わかっている。相手の声だって聞こえてくるのは男のものだし、ナルトの話にも時折登場する、気心知れた昔からの友人達だ。わかってはいるのだが、その状況になると腹立たしいことに胸がざわついてしまうのだからどうしようもない。先程この話をした時、聞いていた兄はいかにも可笑しそうに笑ったものだったが。
「――…なるほど」
ナルトは腹の底から出たような声でひとこと言うと、おもむろにジョッキを持ち上げ口許で傾けた。太い喉がゴッゴッゴッと揺れて、まるでCMみたいな音をたてながらビールを一気に飲み干すと、やがて「…ぷはァ!」と大きく息をつきながらドン!と空になったジョッキを置く。
「……何だよ」
ちょっと居ずまいを正したナルトが、空いたジョッキを挟んだまま恐ろしく真剣なまなざしで(じいっ)とオレの顔を見つめてきた。
「ずるい」
「は?」
「なんだってばよそれ、Sさんにそんな風に思ってもらえるなんて。彼氏のやつ、羨ましいが過ぎるだろ!」
想定外すぎるコメントに、思わずむせそうになる。
「…あァ?!」
「だってさ、Sさんてば二人でいる時に彼氏が他のやつと喋ってるの、そんなにヤなんだろ? そんなのオレからしたらかわいいとしか言いようがねえって。そんな風に想われてめちゃくちゃ果報者じゃん、Sさんの彼氏」
ていうか、それを素直に言えないとこも全部ひっくるめてかわいい。そんな歯の浮くようなセリフを、ナルトは大真面目に言いきった。しかも目尻がちょっと下がってる。……クソが、なにがかわいいだ。なんだか急に喉が渇いてレモンサワーを煽るが、それさえも愛おし気に眺めてくる視線に思わずチッと舌打ちが漏れる。
「バカかお前は」
「うん。バカなんだってばよ、オレ」
ニシシと軽く笑うナルトの声が、騒がしい店内の中でやけに耳に残った。腹立たしいのに少しだけ、肩の力が抜ける。
「――あ~、なんかやっぱ腹減ってきちまったな!食いもん頼んでいいかな、Sさんなに食べたい? ここの店だとやっぱ唐揚げは外せないよな……あっ、あと飲み物もお代わり頼むか、またレモンサワーでいい? なんか違うのいってみる?」
ようやくといった感じで、ナルトが再びせわしなくオーダー用のタッチパネルを触りだす。店はずっと喧しいし、テーブルもべたついたままだ。だけどほんの少し息が楽になったような気がして、オレはナルトが「なあ、どれにする?」とニコニコしながら見せてきたパネルに目をやると、ゆっくりと手を伸ばした。
*****
なんとかなった。
なんとかなったよな、これ。なってるよな?
結局しっかり満腹になってから店を出た頃には、表はすっかり夜の街になっていた。人でごった返す通りを一緒に眺めるサスケにも、待ち合わせした時の頑なな空気は既に取り払われて、気持ちの良い酔いに身を委ねているようだ。最初しんとするばかりの酒の席にどうなるかと思ったけど、様子を見る限り、サスケも機嫌を直してくれたみたいだしどうにかなったっぽい。
「Sさん」
ホッとしつつ呼びかけながら、改めて普段と違う服を纏った彼の全身を眺めると、黒で全身固めたサスケはやっぱりいつにも増して色気があるように見えた。いつもは気取らない、着心地と洗濯の都合ばかりを重視した服を着ているサスケだが、今日のように洗練されたファッションに身を包んでいると、本当にどこかのメゾンと契約しているモデルのようだ。今更ながら、激安居酒屋では勿体なかった気がする。
「この後どうしよっか、もう一軒行く?」
せっかくだから次は、今の彼に相応しい雰囲気のいいバーにでも――なんて思いつつ言うと、サスケは一瞬だけ視線を伏せて、それからちょっと覚悟を決めたように顔を上げた。
「いや、店はもういい。――…行くなら、お前んちで」
そんな都合の良すぎる提案に心臓が大きな音を立てる。思わず(えっ、マジ?!)と頬が緩みかけたがはっとしてそれを止め、誤魔化すような咳払いをひとつしてから、努めて平静を装って首を傾げた。
「うちでいいの?」
「ああ」
「そう?じゃっ……じゃあ、行く?」
そう言って軽くその背に手を添えながら、駅の方へと足を向けた。本当は手も繋ぎたかったけど今は我慢だ。ぬるい夜風が火照った気持ちを、ほんの少しだけ落ち着かせてくれる。
隣にいるサスケが同じ歩幅で歩くのを感じながら、オレの頭の中は猛烈な勢いでぐるぐると思考をフル回転させていた。えっ…これってこのまま済し崩し的に元に戻ったってこと? それともまだマチアプで出会ったばかり設定が生きてる感じなんだろうか。となるとサスケちゃん、この流れだと今から間男とイケナイことしちゃうけどいいのかってばよ――彼氏のことヤキモチ焼いちゃうくらいめっちゃ好きなのに。って、その彼氏オレなんですけど。彼氏のこと想いながらも気持ちいいことには抗いきれなくて、背徳と官能の狭間でぐっしょぐしょになるサスケ。……やばい、めちゃくちゃ興奮する。一度はがっかりしたものの、これってばなんだかんだで結局は最初の期待通りになっているのでは。
逸る気持ちを無理やり平静な顔で上塗りしても、そわそわとした欲まみれの妄想と興奮は、収まるどころか家が近付くにつれてどんどん膨らむばかりだった。
震える手でマンションの部屋の鍵を開け、大人しくついてきたサスケを中へと招き入れる。どうにかそこまでは堪えていたが、もう限界だ。後ろ手でバタンと扉を閉めた途端、そのまま靴もまだ脱いでいないサスケを抱きすくめる。
「ちょっ…?!」
驚いて少し声を荒げたその口を塞ぐように、いきなり深いキスをした。最初は頑なだった唇もじっくりと咥内を愛撫されていくうちに、やがて観念したかのように自分の舌を控え目に絡ませてきてくれる。
「――いい?」
唇を話してから顔を覗き込むと、サスケはどこか不貞腐れたようにふいと横を向いた。けれどその様子に「やっぱ、いや?」と確かめると、軽く逡巡しながらも黒い瞳が顔を向きなおしこちらを見つめてくる。決して良くはないと思っているようだけれど、潤んだ瞳はすでに熱に絆されていた。抑えられない衝動に、再び貪るようなキスをしてしまう。
唇を啄み合いながら部屋に上がり、そのまま縺れるようにしてベッドへ倒れこんだ。
闇のなか仰向けで見上げてくるサスケは、すでに軽く息を乱している。
「……焦るんじゃねえよ、馬鹿が。シャワーくらい浴びさせろ」
汗が、と言う口をまたキスで塞いだ。「汗なんて、どうせまたびしょびしょになるってばよ」と耳元で低く囁きながら下の方へ手を伸ばし、スラックスの下に隠されたままの股間をゆっくりと撫でる。
口では待たせるようなことを言っても手のひら全体でさするような愛撫をしていると、そこはすぐに芯をもって勃ちあがってきた。首筋に鼻を埋めながら、もう片方の手で乱れたシャツのボタンを外していく。黒いシャツをはだけさせた下からしっとり汗ばんだ鎖骨が現れると、もう衝動を抑えることなんてできやしなかった。暗闇の中でほの白く輝く肌へむしゃぶりついて、じゅっ、とひとつ強く吸う。
「――おい、痕――!」
「彼氏にバレちゃう?」
こんなん見られたら大変だよな。そう言って笑うと、サスケは(は?)というような感じで一瞬真顔になった。
「もういいだろ、その設定は。それより」
「だーめ。始めたのはそっちだろ」
すげなく返されたサスケはムッとして何か言おうとしたようだったが、しかし露わにされた胸に吸い付かれ舌先で乳首を転がされると、開きかけた唇からは悩ましい溜息だけが零れ落ちた。ほんのり感じる汗の味にうっとりしつつ、半端にこちらを止めようとしていた左手をそっと掴み指を絡める。
「んんっ…!」
「かわいー声。Sさん、乳首弱いんだな」
言いながら、すっかり紅く尖った先にふうっと息を吹きかけ、待っているもう片方の方へと口を寄せる。乳輪ごとちゅうちゅうと吸い上げてやれば、サスケは白い肩をふるふると揺らし「んん…っ!」と見悶えた。たまらん、と思いながら芯をもった乳首をゆっくりと噛む。思い知らせるかのように徐々に力をこめていくと、非難を込めた指先にぎゅっと肩を掴まれたが、しかし構うことなく硬く尖った先を舌で誑かした。普段よりもどこか手酷い愛撫に、優美な眉が戸惑うように寄せられる。
「……実は痛いのもけっこう好き?」
唾液で濡れる両方の乳首をかりかりと指先で引掻きつつ、上目遣いで確かめると、潤んだ瞳がぎゅっと睨んできた。けれどそんな視線さえも今やぞくぞくとした刺激にしかならない。キスと同時に赤く熟れた胸の粒をきゅうと潰す。重ねた唇からは甘い悲鳴が零れたが、喰らいつくような口づけでそれごとすべて飲みこんでやる。
キスで蕩けさせている裏側で器用にスラックスの前を寛げ、黒のボクサーの中へ手のひらを侵入させると、オレの肩を掴んでいる指にぴくりと力が入った。品のいい丸みを撫でながら奥で慎ましく緊張している窄まりを見つける。触れた一瞬こそ頑なさをみせたそこだったけれど、指先でやわやわと揉むだけで蕾はふわりと解け、浅く差し込むと中は柔らかな締め付けを返してきた。探る手つきに、肉の薄い身体が悩ましく身じろぐ。
「うしろ、すげー柔らかい……もうトロトロじゃん」
――Sさんのここ、やらしいね。耳元で吹き込むように低く囁くと、まっしろだった耳朶が目に見えて赤く染まるのがわかった。
「……っ、ふざけんな、違っ……!」
「うそ。どこが違うんだよ」
図星を突かれたのか、それとも普段ならばされないような口振りに腹を立てたのか。サスケは頬を朱に染めたまま、怒りと羞恥の混ざった瞳で睨みつけてきた。だがそんな彼に優越感を滲ませながら、指先をゆっくりと奥へ押し進める。熱く濡れた窄まりは嘘をつけない素直さで、オレの指を食んでくる。
「じゃあなんでこんなにトロトロなの、もしかして彼氏よりオレの方がいい?」
わざと意地悪く囁きながら、指の本数を増やして蜜を掻き乱した。知り尽くした彼の好きなところを集中していじめてやれば、白い腿はわかりやすくビクビクと震えてみせる。
「んぁっ…く、バカ、なに言って……っ」
そう呻いては首を振って逃げようとするサスケの顎を掴み、強引に視線を合わせる。覗き込んだ黒い瞳には、悔しさと共に快楽に塗れながらもオレの愛撫に抗えない自分への憤りが揺れていた。熟れた半開きの唇から漏れる、理性を溶かす熱い吐息。ここにきてもなかなか折れない彼に、ぞくぞくとした興奮が止まらない。
「言わなきゃわかんねえってばよ。それともなに、Sさんは誰にされてもこんな濡れちゃうわけ?さっきから欲しい欲しいって、やらしく中うねらせちゃって」
「んなわけ……っ!」
「なあ、もういっそオレにしない?」
「…は?」
「オレと付き合ってよ、Sさん。絶対彼氏より気持ちよくするし」
煽るような言葉と引き換えに、一番弱いところを意図的にグリッと押し潰してやると、サスケは「っ…、ひっ……!」と背を大きく反らせて甘い悲鳴を上げた。指に絡みつく締めつけは一気に強まり、足先がキュッと丸まるのが見える。
この期に及んでまだ間男を演じ続けようとするオレのしつこさに、ついに彼の余裕は限界を迎えたようだった。ぎゅっと掴まれていた肩のシャツが破れそうなほど強く引き寄せられたかと思うと、サスケが掠れた声を振り絞るように吐き捨てる。
「……ったく、めんどくせえごっこ遊びはいい加減にしろ……!」
瞳を潤ませ、屈辱と熱情がぐちゃぐちゃになったような表情でオレを睨みつけると、長い腕がしがみつくようにオレの首に回され動けないまま乱暴に唇を奪われた。
離れていく熱塗れの吐息。
濃くなる汗混じりの彼のにおいに、くらりと一瞬、意識がはじけとぶ。
「他の奴なんて知るか……オレは『お前』じゃなきゃ嫌だって、そう言ってんだろ……!」
「――…へ?――や、うそ……ッ?!」
見事な不意打ちに茫然自失となっていたところ、感じ取った異変に慌てて下を見れば、果たしてそこは予想した通りの有様だった。ぐんと盛り上がっていたジーンズの股間に、明らかなシミがじわり。触れてもいないのに勝手に暴発してしまったそこに、サスケは唖然とし、オレは余韻で腰を震わせながらも、恥ずかしいやら情けないやらで赤面を隠せない。
いたたまれない沈黙が、生温い空気がこもる部屋に漂った。
窓の外に広がる夏の夜は明るくて、差し込む月灯りはぐしゃぐしゃになったシーツのしわの影までもをくっきり浮き上がらせている。
「…………だっせ」
ややあっと間を空けて、サスケがぼそりと呟いた。だけどその声は馬鹿にするというよりも、妙に嬉し気だ。くくく、と揺れる肩や息を吸って膨らむ胸には朱い花びらが散って、笑う彼を艶やかに彩っている。
「まあ、とりあえず風呂いってこい。そのままじゃ気持ちわりいだろ、それ」
ひとしきり可笑しさを噛みしめたら気が済んだのだろう。顔を赤くしたまま、それでも笑う彼に見蕩れて動けないでいるオレに気が付くと、サスケはごく自然な風に口にした。
ついでに洗濯も回しちまうか、なんて早速生活感の滲むことを口にしながらベッドを降りようとする腕を、はっしと掴んでは「ちょっ…⁈」と驚く身体を引き寄せ、後ろから囲いこむようにしっかりと抱きしめる。
「……風呂、サスケも一緒に入ろうってばよ?」
肩口に顔を押し付けながら小さくせがめば、腕の中にいる彼からちょっと力が抜けるのを感じた。やさしい左手が、顔を上げられないままのオレの頭に軽く触れるのを感じる。…ったく、しかたねえな。聴こえてきた呆れ混じりの甘やかしに、ぐりぐりと額を肩にこすりつける。
「あのさ」
「?」
「ごめんな。――あと、好きです。大好き」
「……そーかよ」
サスケの彼氏がオレで、ほんとによかったあ……。額を肩に乗せたまましみじみ呟くと、長い指に汗ばんだままの髪がくしゃりと掴まれた。
伏せていた顔をそっと上げると、髪を乱したままのサスケがちょっと複雑そうな、けれど面映ゆそうな顔でこちらを見下ろしていて、その眼差しひとつでまたどうしようもなく胸が苦しくなってしまったオレは、抱きしめる腕へもう一度ぎゅっと力をこめた。
「けどまあ、1回だけってのは嘘だな?」
「え?」
「アプリ」
「うっ――…まあ、それは、そうですね……」
「まあまあ遊んでただろ、お前」
「いやいやいや、それは無い! ていうかそんなマッチできたこともねえし!」
「ふうん」
「信じてないだろ」
「そんなことねえよ」
「ていうかその服なに、買ったの?」
「いや、兄さんの」
「は?」
「借りたんだ。お前によろしくってさ」
「え……あっ、そ、そうなんだ? いや~そっかあ、道理でサスケにめちゃくちゃ似合ってるはずだってばよ! 兄ちゃんの見立てかあ、ハハ……(やべえ、これ次会うとき絶対覚悟が必要なやつだ……)」
【end】
このあと脱衣場にあるサスケの服をこそっと確かめて、ボーナス丸ごと吹っ飛ぶハイブランドのタグにひとり(ヒッ…!)となるナルトさんでありました。笑顔で圧を送るタイプの兄。
夏の夜の夢みたいなドタバタな話が書きたいな~と思っていたところ、どういうわけかこうなりました。自分でもよくわかりませんが、マッチングアプリで出会うNSを書いてみたかったのだと思います。しかしどう考えてもSが普通にマチアプ使う想像ができず…まあ夏だしね、たまにはいいか!ということでどうかお許しを。
ハングリーバードのふたりを久しぶりに書きましたが、やっぱりかわいいですね。お気に入りです。けど考えてみたらハングリーバード本編はこのサイトの隠しコンテンツにしているので、読んだことない人はよくわからないのでは? といま気が付きました。すみません。
隠しコンテンツ、「はじめに」のページに置いていますので、気になった方はぜひ探してみてください。このサイト、なんか謎に伝統芸の継承をしようとしているのなんなんだという感じですが、せっかくですので面白がっていただけたら幸いです。
